(この記事は2009年のものです)
今日は知られざるショパンの世界と題して、関孝弘さんの講座に行ってきました。
関さんは今、奥様と、まいにちイタリア語(NHKラジオイタリア語講座)中級をうけもっておられます。
関さんは今、奥様と、まいにちイタリア語(NHKラジオイタリア語講座)中級をうけもっておられます。
これで納得!よくわかる音楽用語のはなし―イタリアの日常会話から学ぶ
の著者でもあります。
3年前にこの本が出たときに、
日頃から「音楽用語」として使っている、さまざまな言葉が、ようするにイタリア語として普通に使われている言葉であることを、改めて認識し、その言葉の本来のもつ意味を知ることの大切さを感じました。
その昔、音楽といえばイタリア人だった時代。どこの国でも宮廷音楽長はイタリア人でした。
日頃から「音楽用語」として使っている、さまざまな言葉が、ようするにイタリア語として普通に使われている言葉であることを、改めて認識し、その言葉の本来のもつ意味を知ることの大切さを感じました。
その昔、音楽といえばイタリア人だった時代。どこの国でも宮廷音楽長はイタリア人でした。
だから当然楽譜に書いてある言葉もイタリア語だったんですね。
その言葉を、今私たちが思っているような
アレグロ・・・はやく
アンダンテ・・・歩く早さで
などというように、翻訳したのは誰か???
今はひょっとしたらモーツァルトのお父さんあたりかなあ、と思っていますが、どうなんでしょう?
彼はそのバイオリン教本の中で、音楽用語についての説明の章をわざわざ設けています。
ちょっともう1回確かめてみなければ。。。と思っています。
ともあれ、今日の講座は、音楽用語に関することは少しだけで、
ショパンの遺作集の楽譜をもとに、演奏とお話をきかせていただく、という内容でした。
ご自身がイタリアに留学なさったときに、音楽院の子供たちが弾いている
きれいな曲。。。。誰のかな?とみてみると、ショパン。
でも、聞いたこともない。そんなばかな!
そこから、本当にそれがショパンの作品かどうかを、たしかめるためにたくさんの年月をついやされ。。。全音から、ショパン遺作集として出版されました。
生前に出版もされなかった小品、子供のころの作品。でもいずれも
ショパンの香りのする作品ばかりでした。
1つの疑問をそのままにせず、追及していく姿勢、というのもとても大切ですね。
その結果、ショパンの遺作がすべてはいっている、楽譜集はまず、ポーランドでもフランスでもイタリアでもなく日本で出版されたということです。
すごいですね。
印象に残っているお話を1つ。
ある実験で、人にいろいろなジャンルの音楽を聴いてもらい、
どこで感動するかを、脳波で図ってみたそうです。
ロックやポピュラーは、」』音楽はにぎやかだけど、脳波はフラット。
クラシックでは、ところどころで反応が。それが、和声が変わるところだったそうです。
ショパンの曲の中には、そのような憂いを含んだ転調がすごく多いので、それを1つ1つ感じながら弾くことが大切だということ。
それから、ショパンが好きだったのは、ベルリーニだったので、まずは、メローディーをオペラのアリアのように、歌うこと。。
遺作をたどりながら、ショパンの成長と変化を作品をたどりながら語ってもらった2時間あまりでした。
znany sex telefon (金曜日, 03 11月 2017 21:44)
podcyfrowawszy
フレデ陸 (土曜日, 08 9月 2018 16:42)
プッチーニは、1858年12月22日 - 1924年11月29日ですが?