写真は当時のプレイエルを復元したもの。
ショパンは、プレイエルがお気に入りだったらしく、
「私は気分のすぐれない時はエラーるのピアノを弾く。このピアノは、規制の音を出すからだ。
しかし、身体の調子が良いときはプレイエルのピアノを弾く。この楽器からは自分自身の音を作り出すことができる」
と語っています。
ショパンが祖国のポーランドを離れ、ウイーンを経由して1832年にパリにきたとき、この天才を見出して、 世の中に紹介したのはカミーユでした。ショパンがパリで行なう公式のコンサートは全て、プレイエルサロンで 行なわれています。
ショパンが晩年持っていたピアノは、
プレイエル、ブロードウッド、エラールの3台だったそうです。
現代の形に近づいてきたピアノという楽器が、ようやく歌やバイオリンに匹敵するくらいの存在になりつつあった時代、ショパンによってピアノは完成の域に近づいた、とも言えるのではないでしょうか。
「ショパンの手にかかっては、ピアノもバイオリンの弓や、楽器の息遣いをうらやむ必要はなかった。すべての音が溶け合って、美しい歌のような流麗な効果を作り出したのである」(ミクリ)
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